Virtual朦朧

なんでも書くぞ!ツイッターの呟きが長文になったものと大きな変わりはありません。

猫に話しかけるときのはなし

猫に話しかけるときってなんで猫撫で声+キモ口調になっちゃうの〜?

 猫撫で声という概念があるからだか知らないが、家の中で猫に話しかけるときどうしても「かわいいでつね」とか「どちたの(どうしたの)」とか、もうそれは文字に書くのも恥ずかしいくらいの言葉になってしまう。

 

 まぁ、猫は可愛いので、仕方ないんですよね。

 

パジャマのはなし


パジャマって、なんでもきもちい〜〜〜!

 パイル記事のパジャマ着てた時はタオルに包まれてるみたいでサイコ〜だったし、

シルクのパジャマの時はさらさらしてて座ってるだけでこれもサイコ〜だったし、

今着てるよくわかんない肌を優しく包む生地もふわふわしててしっとりしててサイコ〜だし…

 

あれ!?

 

 もしかして、パジャマってなんでもサイコ〜なの!?そんなの困っちゃう、いつか年老いて、本当に癒しを求めたい時に急にサイテ〜になったらどうしよう!?

 

う、うう…

 こわい、こわいよ…。その時が怖い。その時のことを考えると、不安で不安で仕方がない。太陽が爆発するより、お気に入りのマグカップを落として割ってしまうことより、ママを怒らせることより、なにより………………

 

 

 パジャマがサイテ〜になる瞬間が怖すぎる!!!!

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 えぇ、そっか…くまくんも、そういう不安を抱えて毎日を生きているんだね。決してもう置き直されることのない砂時計は、自分の知らないうちに始まっているんだものね……。

 そんなくまくんに、私がこのパジャマは朝起きたらサイテ〜だったランキングを教えてあげるよ!

 

 

 

 3位

 

 私服のプリントTシャツ

(プリント部がかたくていやだった)

 

 

 

2位

 

ワンピース型のパジャマ

(朝起きると腰回りに布が上がってきてるのがかなりいやだった)

 

 

 

 

1位

 

 

 

 オーバーサイズのパーカー

(布が重たいし厚いので寝転がった時に体が平らになるまで時間がかかってうざいし朝起きると布に疲れた自分の体がすぐあってとってもいやだった)

 

 

 これでくまくんも一安心だね!本当に癒しが欲しいとき、怖くないね!

 またみんなで、「掛け軸裂け肉ゲーム」して、遊ぼうね!

またね〜!

辛い食べ物のはなし

 辛いものがめちゃくちゃ得意というわけではないが知り合いよりそこそこ食べられる人による個人の考えの記事です。今から書くことに根拠はありません。メモ程度のことを書いているので、ぐちゃぐちゃです。


 辛いものが好きになって、もう何年だろうか。ピリ辛から始まり、最近では蒙古タンメン中本の北極(ただしお店に行ったことはなくカップラーメン)を朝食として食べても平気でいられるようになった。お腹を壊したりすることもない。

 私の周りの人は多分、比較的辛いものが苦手な人が多い印象だ。私が食べた辛いものの話をするよう頼んでくるので、最近はこれを食べたとか、こういうソースを買ったので料理に入れただとかのエピソードを報告すると、意味がわからないとでも言いたげな表情で別の話に切り替える。せっかく話したんだからそんな反応ないでしょうと思うけど、確かに私でも、私の苦手な食べ物の話を楽しげにする人の話をうまく広げられる気はしない。なのでまぁ、仕方がないと思う。


 辛いものを食べていると、私は「美味しい辛い味「なんだかすごい辛みの二つを感じていることに気がついた。閻魔様のイラストが描かれた、「ペヤング焼きそば極激辛」は、食事として人を楽しませる気はあるのだろうかと疑問に思うほどの「なんだかすごい辛み」がした。でも買ったからには食べようと思って食べた。その
辛みはなんとも形容し難い"無の味"だった。極激辛に対して、味についてのそれ以外の感想は全く覚えていない。ただ、刺すだけ刺してなにも残していかなかったな〜と思ったことだけは覚えている。


 自分が耐えられる辛さとは、その"無の味"こと「なんだかすごい辛み」が、辛いものの味のなかでどのくらいを占めるかと関係していそうだなと自分の中で考えた。

  今まで食べてきた辛い食べ物における「美味しい辛い味」:「なんだかすごい辛み」の比率(割合?)を考えるなら、極激辛が1:9、北極が6:4、CoCo壱番屋の何辛だか忘れたけど辛さを増してもらったカレーは7:3、それ以外の辛い食べ物は9:1とか、そんな感じだと思う。

 この割合の数値がどうなるかを考えることで、自分が耐えられる辛みや、美味しいと思える味の限度をなんとなく想像できる気がする。

 先ほど、「なんだかすごい辛み」は"無の味"だと言った。味がないのではなく、無の味がする(美味しい辛い味はきちんと美味しい食事としての味があります)。無の味のイメージは、丸くて、少しぼやけていて、限りなく黒色に近い灰色のもの。

 

 私は甘いものがそこまで得意ではなく、ショートケーキも半分でもういいやとなってしまう。これも、甘い食べ物版の"無の味"や、「美味しい甘い味」や「なんだかすごい甘み」があるのだろうか。モンスターみたいな甘さのスイーツを食べたことのある人がいたら、是非聞いてみたい。そのときは、私の辛い食べ物の話もきいてほしい。

におい

 散歩中、帰宅途中、移動途中に香る人の家の夕飯の匂いって、どうしてあんなにドラマチックなんだろうね。

 ふとしたところでする、昔の知り合いの香水とおんなじ香水の匂いって、どうしてあんなに記憶を蘇らせるんだろうね(香水記憶蘇らせすぎということは、最近散々あの歌で歌われているが)。

 匂いと記憶についてたくさんの人がいろんなことを考えたと思うけど、私が匂いで思い出したり想像したりすることは全部とっても素敵なので、大体の情報が匂いになってしまえば最高になるのにな、と思った。ちなみに私は耳も目も悪いが鼻だけはいいので、本当にそういう感じ方になってしまあんじゃないかと思う時が少しだけある。

 ピアノを習っていた頃、家からピアノ教室まで徒歩で通っていた。レッスンを終えた帰り道、ぼーっと歩いているところに夕飯の匂い。野菜?じゃがいも、たまねぎ、なんかそんな感じの、美味しい匂い。それは、額と鼻の間に優しく広がっていく感じがする。リビングの風景を電球の色は橙で、家具は優しい木目調。娘っぽい女の子が、エプロンを着たお母さんらしき人から笑顔でお皿を受け取っている。こういうのも、なにかのCMでみたイメージや風景をつなぎ合わせて景色にしているのかな。

 最近は全くそういうのを嗅いだ覚えがない。夕飯の時間、住宅街を歩くことがなくなった。フッと現れるイメージは美しく素敵で優しいから、そろそろ見たいな。

アイキャッチ画像

 アイキャッチ画像、勝手に作られね〜

 はてなブログの記事がSNSで共有されているときよく見るあの「タイトルとブログ名の画像」が作られね〜

 ブログを開設した日、盛り上がってめちゃくちゃいじってハッピ〜サイコ〜なページを作ろうとして、アイキャッチ画像をこちらで設定しちゃったんだよね。設定したらよく見るあの「タイトルとブログ名の画像」が作られないんだよね…。画像を削除したけど、以前の画像がずっと使われるままで、ヘルプページを読んでちゃんと設定したけどそれでもダメで…。

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……くまも困ってますね。あ〜あ。

こまってるみたいなので、新規記事を書いてそれで設定が切り替わったらいいな、と思います。、

おじさんとおばさんの駄菓子屋、のれん。

今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」

近所の駄菓子屋ののれんがいつの間にか替わっていた。以前は赤色ののれんだった気がするが、青色ののれんになっていた。中学時代は近くの道を毎日通っていたが、高校に入ってからその道を通ることはなくなった。なのでいつから替わっていたのかはわからない。毎日通っていた頃にのれんが替わるという大きな変化があったらさすがに気づくはずだ。しかしそんなことは変化は記憶にないので、多分それ以降に替えられたのだろう。

その駄菓子屋は、おじさんとおばさんがやっているとても小さなお店だ。入り口も狭く、店内も三、四本歩けばすべてのお菓子を見ることができてしまうくらいだ。その駄菓子屋はもんじゃ焼きを食べることができて、奥には鉄板が二つあった。
小学校時代に、友達と遊んだ日にほぼ毎回寄った。とくにその駄菓子屋に面白いものがあるわけでも、行くたびに品揃えが変わり珍しいものがあるわけでもなかったが、毎回行っていた。なぜならそれ以外にお店として行くところが一つもなかったからだ。
駄菓子屋付近は住宅街なので、その付近の狭い範囲に公園は複数あった。三つもある公園だったが、一つは遊具もなく、公衆トイレと謎の塔だけ、もう一つはなんだか怖い感じ(何が怖かったんだろう?よく覚えていないけど、なんだか寂しい感じがした)がして、遊びに行く公園は一つだけだった。その公園は、三つの公園のなかで一番新しく、なにより人が多かったし、同じクラスの子の家がとても近くにあったので、なんとなく安心して遊べたんだと思う。
駄菓子屋で駄菓子を買って、その公園に行く。ただそれだけの放課後遊びだった。駄菓子屋で持つ、二枚の百円玉は恐ろしいくらい輝いていたし、特別感があった。駄菓子屋で200円も持っていたら、そりゃあ、富豪ですよ。富豪。
そんな日々も、数年すれば勝手に終わってしまった。中学生になって、定期テスト、部活動、なんだかんだしているうちに、よく遊んでいた子たちとも自然と話さなくなっていった。
そんな中学生の頃、一人でその駄菓子屋に行ったことがある。なんで寄ろうと思ったのか、理由はわからない(明確な理由なんて多分ない)。
店内に入る。おばさんに「こんにちは」と言って、買い物カゴの役割をする、パステルカラーの半透明の小さなトレイを持つ。駄菓子のバリエーションも、よく来ていた頃と何も変わっていなくて、少し不思議な安心感を覚えた。
小学生の頃は、もらった小銭を握りしめて駄菓子を選んでいたので、手の汗で小銭の成分?が出て、手からは毎回、なんとなく銅の臭いがしていた。中学生になって行ったその日は財布の中に小銭を入れていて、お会計をするときに自分の持っている残金を知った。好き勝手買い物をしても平気なようになった、ということだ。もちろん手から銅の臭いがすることもなく、こんなところで小学生の自分と今の自分との差を感じるものなのか、と思った。
お会計をするとき、おばさんが小学生の頃の私を覚えていて、なにか話かけてくれた。しかし、なにを話してくれたのかは全く覚えていない。たしか一言二言で、昔よく来てくれたよね、とか、そんなニュアンスのことだった気がするけれど、書いていてしっくりこないので、多分違う。でもそんな感じのことだった気がする。

小銭を握りしめて通っていた時代から、財布で自分のお金を管理するようになって、今ではのれんがいつ替わったのかわからないくらい、近くの道も通らなくなった。今、おじさんとおばさんが、昔と変わりないくらい元気なのかもわからない。たくさん通ったあの駄菓子屋に、時間のある時にまた行ってみたいと思う。